なぜ自殺してはいけないのですか

質問
   時々、死にたいと思うときがあります。しかし、キリスト教では、自殺は罪だといわれます。なぜ自殺してはいけないのですか。

 自殺は問題の解決になるのでしょうか


 「中学生集団自殺」や「事業に失敗して自殺」などのショッキングな記事が目を引きます。
若者の間ばかりでなく、壮年の人々や、老人の間にも自殺者は増えています。
 自殺したある少年の遺書に「お母さん、お父さん、ごめんなさい。なぜ自殺する気になったかと言うと、学校へ行くと毎日毎日いやなことばかり。………心から話し合える友だちが本当にほしかった。では、さようなら」とありました。
 科学や技術が進歩し、テレビのブラウン管からはいつでも人々の笑い声が聞こえてくる時代です。しかし、そこには力となり、慰めとなる言葉はありません。知らず知らずのうちに、自分の世界に閉じ込もり、孤独となり、生きたいのに生きていくことが出来ず、
「私は独りぼっち、誰も分かってくれない。この苦しさ、不安と淋しさを」
「わたしは何故こんなにまでして生きているのか」と喘ぎ苦しみ、
戦い疲れ自ら終止符を打って、自己破壊へと進んでしましまうのです。
しかし、わたしたちは決して孤独ではありません。

 ユダとペテロ


 新約聖書の中に、キリストの弟子であったユダが自殺したことが記されています。
彼は自分の犯した罪の重大さに気づいて、それは決して許されないものと理解し、自殺をはかったのでした。
しかし、キリストを裏切ったのは彼だけではありませんでした。
キリストが十字架につけられた時、ほとんどの弟子たちが主イエスを捨て逃げ去りました。
ペテロも自分がイエスの弟子でないと三度も否定したのです。
しかし、ユダは自殺し、ペテロは悔い改めて、初代教会の中心人物として活躍しました。
何が、その相違をもたらしたのでしょうか。
ユダは主のみもとに戻ろうとしませんでしたが、ペテロはキリストのもとに戻ってきたのです。
そしてキリストは、「あなたはわたしを愛するか。」と尋ねられ、
彼の心に再び生きる力と希望の火を点火されたのでした。
キリストの愛にはペテロを立ち直らせる力がありました。

 新しい命への道


 人生において、失敗や、間違いをおかさない人はありません。
挫折や孤独を経験しない時はありません。死にたいと思うほどの重荷や、困難もあります。
しかし、神はすべての人を愛し、立ち直るチャンスを備えておられのです。
キリストの愛の力は、深く、大きく、広く、今も変わることがありません。

 私達のいのちは神から与えられたものです。それを自ら縮めることは許されていません。
命ある限り生きる責任があります。
もちろん、人生は長いから価値ある生涯、短いから価値なき生涯と言うものではありません。
神を知り、神とともに生きる生涯には、絶望はありません。
どんな困難の中にも、キリストが共にいて下さるなら、明るい未来が開けます。
善も悪しきも、喜びも悲しみも、あなたの悩みのすべて一切万事を神はご存知です。
この神のみ手にあなたと、あなたの生涯をおまかせしましょう。
勝利の生活はあなたのものです。

 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さる。
………もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」 (ローマ8:28、31)

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